輝く高校生

翻る大団旗と女子団長の応援部

県立不動岡高校 応援部 第50代団長 黒澤 梓

 炎天下のスタンド! 翻る大団旗、吹奏楽部の金管の煌きと確かな演奏、野球部の絶唱、チアチームの切れのある動きとはじけるばかりの笑顔、打ち鳴らされるメガホン、そして応援部の血染めの大太鼓の咆哮とリーダー達のほとばしる気合…。私たち不動岡高校応援部は、創設以来128年を迎えた本校の校訓「質実剛健」の精神を継承・発展させ、不動岡健児の士気高揚に努めてきました。

 活動としては、野球・ラグビー・水泳などの試合応援、関東大会・全国大会に出場する選手への壮行会、中学生向けの学校説明会における中庭演技、新入生への校歌指導、全校集会での校歌リーダーなどが目立つものとなります。

 恥ずかしながら、本校の応援部は5年前までは人数も少なく風前の灯でした。そこで当時の校長先生・顧問・応援部OB会長・現役団長の合意により、平成20年度から女子にも応援部(応援指導)への入部の門戸を開放しました。また、当時愛好会として発足していたチアダンスチームDROPSもチームごと応援部に合流しました。現在では部員数も拡大傾向にあり、より華やかな応援を行うことができていると自負しています。

 私もまた女子としては3人目の団長として、夏休みから活動しています。女子であるからということで、外からは不動岡が甘く見られないようにと肝に銘じています。団長の仕事にはリーダーを行う目立つ部分や練習計画のほか、様々な応援部の活動のマネージメントがあります。協力してくれる他の部活動との日程調整、練習場所・発表会場のチェック、機材の準備など、1年生であったころにはまったく想像もしなかった部分がありましたが、成功の後には生徒の力だけで進めていく活動としての充実感を得ることができます。「絶対に後悔させない」と熱く勧誘してくれた先輩の言葉そのものの日々がここにあります。先輩方は厳しく何度もダメを出されましたが、またその度に「自信をもって」と背中を推してくれました。

 全力で声を出し、全力で腕を振る。そうでなければ全力を尽くしている他者の応援は出来ないと思います。同じくそうでなければ部発足当初からの気迫、情熱、勝利への執念を継承していくことも出来ないと考えています。これからも先人の築かれた伝統を未来永劫継承させるという使命をも担い、日々精進していく所存です。

(応援部・現団長・二年)

震災ボランティアに参加して

県立鳩山高校3年 比留間 麗子

 夏休みに生徒会が企画した行事に参加する形で、以前から参加したかった被災地のボランティアに行くことが出来ました。

 鳩山町を朝七時に出発したバスは約七時間をかけ宮城県南三陸町まで私たちを運んでくれました。海沿いに限らず、町並みや道路は片付いており綺麗でしたが、建物と建物の間に草の生えた広い空き地があるのが目立ちました。処理場にはとても沢山の瓦礫が、そして町のあちこちにも瓦礫が山と積まれていました。

 宿泊した「志津川自然の家」にも地震の際、天井が落ちた大きな穴が残っていました。壁にひびがたくさん入ってもいました。津波が押し寄せてきたときのお話も伺えました。

 また、志津川自然の家のグラウンドには約八十世帯二百五十人ほどの方々が生活している仮設住宅が立ち並んでいました。震災から二年半。仮設住宅に住んでいる方々が一刻も早く、安心して落ち着いた生活が出来るようになって欲しいと思いました。

 二日目は瓦礫の撤去作業をしました。そこは、志津川高校の近くの一見、普通の空き地でした。しかし、ピッケルで数センチ土を掘り返すと、洋服や毛布、タオル、食器、カメラ、DVD、リモコンなどの生活用品。車の部品、エアコン、大きな金属片、金属のパイプ、大きな網、不燃シートなどの危険物もたくさん埋まっていました。

 私は土の中からエプロンが出てきた時が一番のショックでした。大きな波と瓦礫に飲み込まれた方々の恐怖と無念を痛感しました。

 約五時間作業をしましたがあまり広い範囲の瓦礫の撤去はできませんでした。改めて地道に作業を進めなければならない復興の大変さを知りました。

 南三陸の方々が皆同じようにお話をしてくださったことも印象に残りました。「来てくれた事が嬉しい」「まだまだ力が必要」「現地に来られなくても、南三陸がどんな様子だったか、周りの方に話して欲しい」「南三陸の物が欲しい、食べたい。そう話してください」。

 埼玉に帰ってからは今回の話をすることで、また機会があれば再度現地に伺って、被災地の方のためのお手伝いをしていきたいと思います。

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